
推古天皇の勅願により、聖徳太子によって建立された塔世山四天王寺(三重県津市)には、織⽥信⻑公が祈願したと伝わる「三⾯⼤⿊尊天」が所蔵されています。
この像は、寺に遺る明治時代の版木によれば聖徳太子御作と伝承される由緒ある像です。
本作品は四天王寺の認証を得て実像の3Dスキャンを実施。それにより作成された精密データを元に忠実に再現された木彫像です。
更に所蔵寺院により一体一体ありがたい開眼供養を賜り、その証となる開眼供養証明書と2枚の御札(姿札、御朱印)が付属します。
天下布武の原点を机上で鑑賞する中サイズ。聖徳太子と織⽥信⻑、歴史的英傑所縁の歴史ロマン溢れる逸品。現代社会を強く生き抜く誓いの守護本尊として是非お祀りください。
織田信長公が祈願した在りし日の御姿を復元

四天王寺が所蔵する『三⾯⼤⿊尊天』の現在の御姿は、経年変化によって表⾯の彩色がほぼ剥落し、木肌が露出した状態です。それでも尚、見るものの心を打つ威厳は微塵も揺らいでいません。
本作品の制作にあたり、当初は現在の御姿をそのまま再現する案と織⽥信⻑公が祈願したであろう往時の姿を再現するという案があったのですが、度重なる協議により在りし日の御姿を再現することになりました。
その際に参考になったのが四天王寺に伝わる古い時代の御札に描かれた「三⾯⼤⿊尊天」の御姿でした。これを元に仏像彩色師が検証を重ね、完成したのが本作品なのです。
三面大黒尊天は強力な天部が三位一体となった合体神
一仏礼拝によって三⾯⼤⿊尊天は、護国豊穣の福の神=⼤⿊天、必勝と財運の福の神=毘沙門天、福徳財宝の福の神=弁財天という単独でも強力な天部が三位一体となった一仏礼拝によって三尊天の御利益を得るという最強の福の神です。
■福徳財宝と技芸の福の神<弁財天>
弁財天は古代インドでサラスヴァティーと呼ばれた川を神格化した女神が、仏教伝来時に『金光明経』を通じて中国から伝わり、やがて七福神の一柱となった福の神です。
水が流れるせせらぎの音から音楽の神となり、そこから広く技芸・文芸などの才能をもたらす神となりました。
現在では「才」が「財」へと変わり福徳財宝を授ける福の神としても篤く信仰されています。
財運の象徴とされる白蛇は弁財天の使者とされます。
■五穀豊穣の福の神<⼤⿊天>
⼤⿊天はインドではマハーカーラ(⼤いなる暗⿊の意)という戦闘神でしたが、財宝をもたらす力が強⼤なことから次第に各地の豪商たちの信奉の対象となり、金運の神となりました。
日本に伝わった際、音が「だいこく」と通じるところから五穀豊穣の神様である⼤国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき穏やかな容貌の福の神となりました。
⼤きな俵に乗って手に持つ姿から五穀豊穣の神としても信仰されています。
■必勝と財運の福の神<毘沙門天>
毘沙門天は別名多聞天と呼ばれ、四天王の一尊として北方を守る守護神です。
邪⻤を踏みつけた勇ましい姿から勝運、必勝祈願、財運の神とされ、また子宝にもご利益があることから聖徳太子、坂上⽥村麻呂、楠木正成などが篤く信仰しました。
毘沙門天といえば上杉謙信が有名ですが、実は武⽥信玄もまた金色の毘沙門天像を兜の中に入れて出陣していました。
このように戦国の名将も毘沙門天信仰によって多くの戦いで勝利を収めたのです。
聖徳太子ゆかりのお寺「塔世山 四天王寺」
推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立。
安濃郡内に総計約180町歩もの寺領を有し、兵乱による堂舎焼失などに遭うも、貴族や武士からの寄進や城主の手厚い保護を受けその都度復興を遂げ、1,000年以上の⻑きに渡り伊勢路を行く旅人を見守ってきました。
境内には織⽥信⻑公の生⺟⼟⽥御前を始め、藤堂⾼⻁夫人(一色氏)、富⽥知信の子千代丸、斎藤拙堂などの墓があります。
織⽥信⻑公祈願「三⾯⼤⿊尊天」の他、重要文化財の絹本著色聖徳太子像や木造薬師如来坐像など多数の寺宝を有しています。
本品には開眼供養を受けた証として、軽減供養証明書と2枚の御札が付属します。