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工楽松右衛門帆 特集

時代の記憶が蘇る、日本最古の帆布「松右衛門帆」のバッグ

株式会社 御影屋(兵庫県高砂市)が、江戸時代に誕生した日本最古の高級帆布「松右衛門帆(まつえもんほ)」を復活させて作ったバッグシリーズ。

素材に使用しているのは、江戸時代後期に活躍し日本の海運業に多大な貢献をした工楽松右衛門(くらくまつえもん)が考案した極厚の帆布。同市の歴史を活かした特産品の開発と研究をしていた同社の柿木貴智(かきのきよしのり)代表が博物館に収蔵されていた松右衛門帆に着目し、神戸芸術工科大学の野口正孝教授の協力を得て、郷土の偉人が発明した素材を復元しました。

その他の素材も、県内での生産にこだわり、兵庫県多可町で染色、西脇市で織り、たつの市でなめした革を各部に使用しています。

また、上質な鞄の産地として知られる豊岡市で縫製。一般に豊岡市で作られた鞄は「豊岡産」「豊岡製」「日本製」などと呼ぶことができますが、いわゆる豊岡産の鞄の中でも、兵庫県鞄工業組合が定めた基準を満たす企業によって生産され、厳選なる審査に合格した製品だけが「豊岡鞄(R)」として認定されます。松右衛門帆バッグの多くが「豊岡鞄(R)」認定商品です。

規格外の“0号帆布”、職人により当時のしなやかな風合いそのままに再現された松右衛門帆

現在、一般的に流通している帆布は、生地の厚さによって1号から11号まで規格があり、号数が少なくなるほど厚く・重く・硬い生地になります。松右衛門帆はそれらとは、大きく異なり、播州織による太い木綿糸2本を束ねた双糸と、それを3本より合わせた太い撚糸により織り上げられています。

一般的な帆布に例えると「0号帆布」に該当し、極厚の帆布です。当時のしなやかな風合をそのままに再現された生地は、熟練職人の技によるもので、丁寧な手仕事から生まれています。偉大な先人が残した遺産を大事にする思いが感じ取れる生地です。

日本古来の綿織物である播州織、世界に誇れる進化し続ける生地

兵庫県のほぼ中央に位置する北播磨(きたはりま)の美しく豊かな風土に育まれた先染め綿織物。200年以上の歴史と伝統を誇りながら、世界のあらゆるファッションシーンをリードし、今もなお進化し続けている織物です。

糸から染めて織り上げるという独自の製法は、自然な風合い、豊かな色彩、肌触りの良さを醸し出しています。先染め綿織物では国内生産の約70%以上という高いシェアを維持しており、国内のみならず、世界のファッションにも存在を主張している日本古来の素材です。

歴史に見合う品質を維持し続けるかばんの街“豊岡”で生産される松右衛門帆

かばんの街として名高い兵庫県豊岡市は、1000年の伝統を持つかばんの産地。奈良時代から始まる柳細工を起源として、江戸時代に柳行李(ごうり)生産の隆盛を迎え、大正以降はその伝統技術と流通経路を基盤に、新素材への挑戦とミシン縫製技術を導入し、かばんの一大生産地となりました。

一般に豊岡市で作られた鞄は「豊岡産」「豊岡製」「日本製」などと呼ぶことができますがそれら豊岡産の鞄の中でも、兵庫県鞄工業組合が定めた基準を満たす企業によって生産され、厳選なる審査に合格した製品を「豊岡鞄(R)」として認定。歴史に見合う高い品質を維持し続けています。 松右衛門帆の製品の多くは、豊岡で生産されており、職人の高い技術により縫い合わされ、厳しい審査を受けて完成されています。

当時の常識を覆した大発明、松右衛門帆の誕生と功績

船乗りの家に生まれ、船主として廻船業を営んでいた松右衛門。当時の帆は「むしろ(藁などを編んだもの)」や「綿布(多様な布を縫い合わせたもの)」を用いたものでした。これらは、雨に濡れると重くなり扱いが難しく、強風を受けると破れやすいといった操作性や耐久性に難のあるものでした。

従来の帆では、安全で確実、素早い航海が難しいと感じた松右衛門は「より頑丈で操作が容易な布がないものか」と考え、試行錯誤の末に木綿の細糸をより合わせた太糸を使用して、厚手幅広の一枚布を織り上げる方法を考案しました。

この新型織帆は、綿製のため従来の帆布よりも高価でしたが、とても軽くて扱いやすく、耐久性も非常に優れていたため、瞬く間に全国に普及。船乗りに愛されるとともに、松右衛門の名を広く知らしめることとなりました。 その後、この帆布は「松右衛門帆」と呼ばれ、主要船舶に使用されるようになり、北前船をはじめとする江戸時代後期の海運業にスピード化を促し、多大な貢献を果たしました。

工夫を楽しみ新しいことに挑み続けた傑物、誰よりも公益を重んじた工楽松右衛門

工楽松右衛門は日本の近代的帆布の生みの親として、寛保3年(1743)に高砂町東宮町に生まれました。幼少のころから改良や発明が好きで、好奇心が旺盛な子供だったといわれています。大人になってからは、兵庫津(神戸市)の廻船問屋の船頭となり活躍。1785年に従来の破損しやすい帆に代わり、木綿を使った極厚の帆布「松右衛門帆」を開発。松右衛門は帆布による利益を独占することなく、製法を広く公開したことで、日本全土に普及し当時の海運業の発展に大きく寄与しました。

1802年には、北方領土の択捉島で行われたふ頭の建設で大いに活躍。これらの実績が認められ徳川幕府より「工夫を楽しむ」という意味で、「工楽(くらく)」の姓が与えられました。その後も、北海道・函館のドック築造や広島県・鞆(とも)の浦の築港など多くの公共事業に携わり功績を残しています。

松右衛門の言葉としてこのような文が残されています。「人として天下の益ならん事を計らず、碌碌(ろくろく)として一生を過ごさんは禽獣(きんじゅう)にも劣るべし」(人として天下に役立つことを考えもせず、一生を過ごすのは鳥やけものに劣る)。 誰よりも公益性を重んじ、新しいことも楽しみながらチャレンジした偉大な人物として現在でも語り継がれています。

株式会社 御影屋・柿木代表取締役 インタビュー「いずれは世界に向けて発信」

今回紹介する「松右衛門帆(まつえもんほ)」のバッグの各種類は、日本最古の帆布を忠実に再現したものを商品化。2010年から株式会社 御影屋(兵庫県高砂市)が、神戸芸術工科大学の協力のもと復元に成功させ、松右衛門帆を使用した帆布、バッグの制作を開始した。

当時、地域の産業を奨励する自治体の支援もあったことで歴史的な帆布を使用したバッグ制作事業が考案されたのだが、この松右衛門帆の復活について同社の柿木貴智(かきのきよしのり)代表は「(松右衛門帆を)発明した工楽松右衛門は日本全国で活躍し高砂の歴史において重要な人物。歴史ある産業を復活させることによって地元の偉人の存在を全国に広めたいという機運が上がった」とその経緯について説明する。

また、素材については神戸芸術工科大学の教授から「現代流通している帆布ではなく、当時の帆布をちゃんと調べてそれを復元する事を進められ、実際に神戸大学海事博物館に展示されていた松右衛門帆の構成を詳細に分析した結果、一般的な帆布とは明らかに違う織組織で素晴らしい素材が出来上がった。日本最古の帆布、これを商品化させたらすごいことになると思った」と復元成功時の興奮ぶりを表現。即座に商品化へ向けての動きが加速したという。

松右衛門帆は1本ずつ平織りされた一般的な帆布と違い、縦横太さの違う糸を2本引きそろえて織っているのが特徴だ。織の依頼は、兵庫県北播磨地域が産地の「播州織」の先染めの技法を採り入れ、織の再現をするためには1970年代製造のレピア織機を使用しなければならず、しかも1日当たり最大で30メートルしか織れない。

制作段階から非常に手間と時間がかかる作業の連続だったが、それでも携わった全員の「何とか成功させたい」という気持ちがひとつになり、見事に商品化にこぎ着けた。

工楽松右衛門帆 ラインナップ