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日本橋木屋 特集

東京・日本橋で江戸時代から続く刃物の老舗

爪切り、鼻毛バリカン…グルーミンググッズのロングセラー商品も

江戸時代から続く刃物の老舗、日本橋木屋の創業は寛政4年(1792年)四月。初代加藤伊助が本家の木屋から「のれんわけ」し、独立した店舗を持つことを許されたのがこの年だった。その本家の創業はさらに古く、天正元年(1571年)までさかのぼる。

本家で木屋の祖、初代林九兵衛は、大阪で豊臣家の薬種商として御用商人を務めていたが、家康の招きで当主の弟が江戸へ下り 本町二丁目に店を持つことになった。このとき、大阪の店と分かれたため、姓の林を二つに分けて木屋を称したという。木屋本家はその後、明暦大火(1657年)の後に、室町一丁目に移り、将軍家を はじめ諸大名のひいきを受けて栄えた。

本家木屋には「暖簾分けは許すが、本家と同じ商品を扱うことは許されない」と言うしきたりがあったことから、打刃物を扱うようになったと言われており、文政七年(1824年)に刊行された現在の買物ガイドブックに当たる「江戸買物独案内」には、小間物問屋と打物(打刃物)問屋と二つの木屋伊助の広告が載っている。また、明治34年刊行の「東京名物志」には、「暖簾を分けた打刃物木屋、三味線木屋、化粧品木屋、文房具木屋、象牙木屋など数店舗が並び“室町に花咲く木屋の紺のれん”とうたわれた」と紹介されている。

戦後は1954年に、三越日本橋本店の斜向かいに木屋ビルが竣工。以来、2010年9月まで木屋本店としておなじみだったが、同年10月、新開発が進む日本橋にオープンした新名所「コレド室町」の1階に移転し、新たな一歩を踏み出した。

木屋の刃物の技術は料理用包丁にとどまらず、爪切りや、鼻毛バリカンなど身だしなみ用品にも生かされ、ロングセラーとして親しまれている。例えば、「はがねの爪切り」は、その抜群の切れ味に驚かされる。鋼製なので親指などの硬い爪も難なく切れるのだが、“パチン”と爪が切れる音はなんとも心地よい。

また、「鼻毛バリカン」は、先端を鼻の穴に差しこんで、つまみを握るとロータリー構造の回る刃が鼻毛をカットするというアイデア商品。日々の身だしなみに鼻毛を処理する時間がスマートに溶け込んでくれる。

ブランド紹介

日本橋木屋によると、刃物の木屋の創業は寛政四年(1792年)四月とされる。

木屋の創業はさらに古く、天正元年(1571年)。明暦大火(1657年)後に、室町一丁目に移り、将軍家を はじめ諸大名のひいきを受けて栄え、暖簾を分けた打刃物木屋、三味線木屋、化粧品木屋、文房具木屋、象牙木屋など数店舗が並び「室町に花咲く木屋の紺のれ ん」とうたわれた、と明治34年刊行の「東京名物志」で紹介されている。

日本橋木屋 ラインナップ