2021年は日本プロレス70周年のメモリアルイヤー。その70周年を祝し、日本のプロレス文化の伝承と、プロレスラーを支援する仕組みづくりを担う「日本プロレス殿堂会」より、レジェンドプロレスラー「天龍源一郎」本人仕様のレプリカリングシューズを販売することになりました。
天龍源一郎のトレードマークでもある黒と黄色のリングシューズ。今回販売するのは1987年から1989年の「天龍革命」「レボリューション」時期に着用していた貴重なモデル。日本人同士の激しい試合や、テレビ中継のない地方の試合でも手を抜かない姿勢は当時見ていたファンを熱狂させ、今でも心に深く刻まれています。
リングシューズを製作するのは、数々のプロレスラーのリングコスチュームを製作し、今回のオリジナルシューズも作り上げたKONDOU SHOES代表の小栗修氏。完全受注生産で完成したシューズのタン部分には天龍源一郎本人のサインを入れてお届けする、まさに日本プロレス70周年を祝うにふさわしい特別な商品です。
「風雲昇り龍」天龍源一郎
名前:天龍源一郎(本名:嶋田源一郎)
生年月日:1950年2月2日
出身地:福井県勝山市
身長:189cm
体重:117kg
得意技:パワーボム、グーパンチ、天龍チョップ
1963年12月、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門。天龍の四股名で73年1月場所から16場所在位し、西前頭筆頭まで上り詰めるが、1976年9月場所を最後に廃業。同年10月、26歳の時にプロレス転向し、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団。同年11月に米国で実戦デビューを果たす。
1984年2月23日の蔵前国技館でリッキー・スティムボートを破り、UNヘビー級王座を奪取して初タイトルを獲得。全日本ではジャンボ鶴田との「鶴龍コンビ」、そして、長州力率いるジャパンプロレス軍団との戦いでは激闘を繰り広げた。
1987年6月6日、全日マット活性化のために阿修羅・原と「龍原(りゅうげん)砲」を組み、「レボリューション」を旗印にユニット「天龍同盟」を結成。
1989年6月5日の日本武道館でジャンボ鶴田を破り、全日本最高峰のベルト「三冠統一ヘビー級王座」を初戴冠、同年11月タッグ対決ながらジャイアント馬場からのピンフォールを奪った。
1990年に新団体「SWS」に移籍し、1992年7月に自身の団体「WAR(レッスル・アンド・ロマンス)」を旗揚げ。活動の場を新日本プロレスに広げ、その対抗戦の中で、1994年1月4日の東京ドーム大会でアントニオ猪木からピンフォール勝ち。
馬場、猪木のBI砲からピンフォール勝ちを収めた、ただ1人の日本人レスラーとなった。
1998年2月からフリーとなり、2000年7月に古巣・全日本プロレスに10年ぶりに電撃復帰。その後はハッスル、WJ、プロレスリング・ノアなど数々のマットに参戦した。
2015年11月15日の両国国技館大会で新日本プロレスのエース、オカダ・カズチカとのシングルマッチを最後に40年のプロレス人生、そして大相撲を含め53年にわたる格闘技生活に幕を下ろした。現役引退後はタレントとしてテレビ番組出演などで活躍。
世界中のプロレスラー・コスチューム類を1万点以上手掛ける職人
小栗 修(おぐり おさむ)KONDOU SHOES代表
プロレスラーの間では知らない人はいないコスチューム職人。学生時代から独学でプロレスのマスク作り、高校2年の時に手作りのタイガーマスクの覆面にサインを貰おうと2代目タイガーマスク(三沢光晴氏)に持っていったことがきっかけにプロレス選手から個人的な依頼でコスチューム製作を始める。サラリーマン生活との兼業を経て、プロレスコスチューム職人として独立。500選手以上のもの型紙を保有し、日本のプロレスラーだけではなく、世界中のプロレスラーからの依頼を受ける。現在ではお笑い芸人やアイドルの衣装など手掛ける作品は多岐に渡る。
日本プロレス殿堂会とは
レジェンドレスラーの2世会が発起人になって2020年に運営をスタートした、日本のプロレス文化の伝承と、安心してプロレスラーとして選手達が活動できる仕組みを担う組織。
藤波辰爾氏、長州力氏、天龍源一郎氏を皮切りに、ジャイアント馬場氏、アントニオ猪木氏の管理・マネジメント各社の賛同の元、プロレス界で歴史を創ってきた偉大な方々の功績を業界の宝としてしっかりと再確認するとともに、新たな価値の創造を目指している。